藤川崇のブログです。

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人は流されやすい

僕はブログを書いて、それをFacebooktwitterとLINEとグーグルプラスと名刺管理ソフトのエイトにリンクを貼っている。

つまり、イメージとしては、blogを中心に置いて放射状にそれぞれのSNSにリンクを貼るというやり方をしている。

この中で、コメントとして、最も反応があるのは、やはり友だちが3300人いるフェイスブックである。

電話番号でつながっているLINEと、名刺交換でつながっているエイトは、反応も少ないが、それぞれのタイムラインに投稿する人が少ないので、目立つことができる。

で、Facebookへのblogのリンクに関して、過去のものをずっと見ていくと面白い傾向があることを知った。

それは、最初のコメントが肯定的な賛成のコメントの場合は、続くコメントも同じく肯定的で賛成であるコメントが続くこと。

そして、逆に、最初のコメントが否定的なものであれば、続くコメントもも否定的なものが続くということ。

ここから、推測できるのは、人は他人のコメントに流されやすいということだ。

世の中の風潮と非常に似ていると僕は思う。

風潮というか、ムードなのかな。

僕が思うのは、人の心は、賛成も反対も両方を持ちえているということだ。

両方を持ちえているからこそ、最初のコメントの風向きがどちらになるかで、それを見ることで、そちらになびきやすい。

これは、僕のFacebookに限らず、他の人のFacebookでも同様の流れが見てとれる。

もちろん、blog記事に対して、肯定派と否定派、どちらが多いかと言われれば、肯定派が多い。

その人に興味がある人がコメントをするのだから、当然、肯定派が多くなることは当然だ。

しかし、何度も言うけど、一発目のコメントが肯定的意見なのか、否定的意見なのか、それによって、全体の風向きは変わる。

日本人、特有の流されやすさである、とも言える。

みんなと同じで良いという、学校教育の根っこにあると僕は思う。

僕は、日本の教育は、「他人と違うのはおかしい」という根本的な植え付けがあると思っている。

もちろん、そんな直球の教育をしているわけではないにしろ、大人になればなるほど、無意識にそんな風になっていると感じる。

それぐらい教育というものは、良くも悪くも力があると思う。

というか、国を作るものは教育であると思う。

だから、一番重要なんだけど。

そういった意味では中国の反日教育というものは怖い。

中国人自体が、悪いわけではないが、そういう教育を受けて育って来ているのだから、根本的部分が怖いと思う。

僕がいつも思うのは、自分はどういう親の元で育ち、どういう教育を受けて、どういう経験を経て、今ここにいるのだろう、ということ。

自分を形成してきたものって、なんなのだろうか、って一人で考えることがある。

それは、自分を肯定でも否定でもなく、ただ漠然と考えるだけなんだけど。

自分は、どこかで、何かに洗脳されていないだろうか?

誰かの意見に誘導されていないだろうか?

そして、何かに誰かに僕は流されていないだろうか?

流されることは悪いことではない。

しかし、流されていることに気づかぬまま、年をとって、俺の人生ってなんだったんだろう?という得体もしれない漠然とした虚無感にだけは襲われたくない。

何が怖いって。

それが一番怖い。

とにかく、僕は、流されない男であり続けたい。

もし、僕が何かに流され始めたら、ご指摘願いたい。