藤川崇のブログです。

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石川理紀之助「俺は農民だ。農民が農民を助けないで誰が助けると言うのだ」


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湯沢市秋田県種苗交換会が開催されています。
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第139回秋田県種苗交換会

139回って!?

よくもまあ、139年もやってますよねぇ・・・(^_^;)

全国でも、これだけの回数、これだけの規模の農業の祭典は無いんじゃないでしょうか。

きっと、全国一の農業の祭典ではないかと思われます。

僕は7年前の秋田市開催から、種苗交換会のメインである主会場の設営を任されております。

主会場では、その年の優秀な稲の展示や野菜、果物の展示をしています。
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農家さんが訪れて、その優秀な作物を見て、また来年、自分たちももっと良い作物を作ろうと気持ちを持つ、農家どおしが互いに切磋琢磨する、そういう趣旨のイベントです。

しかも1週間も開催するイベントなんです! (@_@)


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僕は、イベンターなので、種苗交換会に限らず、数々のイベントを企画運営しています。

しかし、種苗交換会のように7日間連続開催のイベントは、ありません。

まさに有難い!

有ること自体が難しい。

毎年、このイベントからは、有難う、つまり「ありがとう」の語源を感じます。

 

種苗交換会の意味は?

たぶん、種や苗を農家どおしが互いに交換しあい、研鑽し、来年に向けて、より良い農業を展開していくこと、なんじゃないかなって思ってます。

藤川崇の解釈なので、正確じゃありませんっ (^_^;) 

では、誰がこのイベント(祭典)を立ち上げたのか?

それは、石川理紀之助扇です。

石川理紀之助は、秋田県の農業の礎を築いた人物です。

秋田県農業の神様 「石川 理紀之助」:農林水産省

石川理紀之助の紹介:秋田県庁

 彼が存在しなければ、秋田の農業の発展は無かったでしょう。

石川理紀之助は、秋田の農業の魂といっても過言ではないでしょう。

石川理紀之助の思いや考え方は、農業に従事する人だけでなく、今を生きる全ての人にとって学びとなる部分がたくさんあります。

是非、この機会に秋田県湯沢市に足を運んでみてはいかがでしょうか?

農家じゃなくても、なにか石川理紀之助の心に触れてみる。

それが大事です。

 

今、農業分野においては、TPPを始め、担い手不足など、課題はたくさんあります。

今一度、石川理紀之助の心に触れ、農業の未来を描く、日本の未来を描く。

種苗交換会が少しでも、そんなきっかけになってくれれば、このイベントに携わる者として、この上ない喜びです。

また、このイベントを毎年やらせてもらえてる事に対して、心から感謝いたします。

 

種苗交換会は11月4日で終了しますが、11月6日から秋田県秋田市の「なかいち」でわらび座さんのミュージカル「新リキノスケが走る!」が始まります。

なんと、石川理紀之助が助けられたのが、今回の開催地である湯沢市だったようです。

この湯沢市開催のあとに、公開されるとは、なんたるシンクロニシティでしょう。

タイムトラベルを感じさせてくれますね!

コチラもぜひ、お見逃しなく(*^^*)

あらすじ

小泉村(現秋田市)で生まれた理紀之助は学問のために19歳で家を飛び出し江戸を目指したが、挫折。

桑崎村(現湯沢市)の庄屋高橋正作に助けられ、幾度も飢饉を乗り越えてきた実践に感動し秋田で生きる事を決意する。

県庁の役人となり、種苗交換会を始めるなど農業経営のために奔走し次々と成果をあげる。

しかし39歳の時、東北一帯が冷害に見舞われると、「農民を救えるのは農民自身」と県庁を辞め、山田村(現潟上市)の復興を成し遂げるが、同時に「理紀之助のやり方は極貧者には当てはまらない」と批判の声があがる。

「誰よりも貧しい暮らしをして、それでもお金が稼げる事を実証する!」と、草木谷で命を刻むような暮しを始める。

1902年(58歳)には森川源三郎らと九州宮崎まで農業指導に出かけ、68歳になってもなお、九升田救済事業に情熱を燃やすまで、「農聖」と呼ばれた石川理紀之助の七転八倒の生涯と、誰も知らなかった心の軌跡を描きます。

 Amazonでは残り2冊でしたよ!

農聖 石川理紀之助の生涯

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