藤川崇のブログです。

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中学時代・卓球部、最後の試合で祖父がくれた驚きの慰めの言葉(^_^;)

僕は、中仙中学校のとき、卓球部に所属していました。

県南大会の個人戦では、いつも県大会確実と言われながら、プレッシャーに弱く、県大会目前の試合で格下相手にいつも負けていました(^_^;)

団体戦は、僕以外が強いので、予定どおり県大会へ出場しました。

当時の卓球の団体戦は1番手、2番手がシングルス、3番手がダブルス、4番手、5番手がシングルで、3本とったほうが勝ちです。

僕は、常に1番手です。

強いから1番手なのではなく、うるさいから、誰よりも明るいから1番手でした。

つまり、ムードメーカー的存在です。

簡単に言うと、僕はいちいちリアクションが激しいのです。

一言で言うと、面倒なヤツです。

とにかく、どんなポイントでも必要以上にガッツポーズをとるヤツでした。

サーブひとつとっても、とにかくリアクションがスゴイ。

僕の必殺サーブは「七色サーブ」と呼ばれていました。

バックハンドから繰り広げられる、横回転と上回転が加わった最強サーブです。

ちなみに、タイプは中国ペン式での前陣速攻型。

ラバーはTSPの730だったような気がします。

ティーエスピー(TSP) TSP730 レッド 040 C(中) 20001
 

 

前陣速攻型、つまりこの頃からある意味、効率主義者でした。

サーブして、それで決まるか、帰ってきたボールを速攻でスマッシュ。

ですので、カットマンは苦手。

ラリーなんて言葉は、僕の辞書に存在しません。

 

まあ、当時の団体戦で1番手からカットマンが出てくることは、99%あり得ません。

僕らの団体戦メンバーは、2番手と4番手が強いです。

3番手のダブルスは伝統的に強い。

5番手は心臓が強いカットマン。

つまり、僕が5番手になることは一度もありませんでした(^_^;)

 

今は無き藤田監督は、当時、県大会では、異例の順番に組み替えていました。

県大会では、僕は見事に重圧にのまれ、僕は二番手か四番手に回っていました。

県大会、山王中学校とベスト4をかけた試合。

山王中学校は、県内で一番強い学校です。

www.youtube.com

僕の2つ上の先輩時代は、竹谷スポーツの竹谷さんという最強の人が存在していました。

あと、強かったのは山王中学校の新開さんというカットマン。

僕らの2個上の先輩は、秋田県大会で決勝で山王中学校と戦い、負けましたが、準優勝を飾っています。

そんな強い先輩たちのDNAを引き継ぐ僕らは、山王中学校とベスト4をかけた試合でぶち当たりました。

一番手が負けました。

二番手も負けました。

この試合は、2テーブル同時に行われます。

つまり、3番手のダブルスが行われている間に今回たまたま4番手だった僕も一緒に戦っています。

3番手のダブルスか4番手の僕が負ければ、ゲーム終了。

どちらも勝たなければ5番手に望みを渡すことができません。

 

僕の両親は共働きで、一度も応援に来たことがありませんでした。

今回の最後の秋田県大会で初めて応援にかけつけてくれました。

祖父母も初めて僕の試合を見に来てくれました。

家族ぐるみの応援です。

いやー、こういうの余計に緊張するんですよね(^_^;)

勝手にやらせてくれ!って思います・・・。

見事にプレッシャーにやられて、会場の雰囲気に飲まれていました。

しかし、第一セットをとりました、あの七色サーブで!

第2セットは、完全に攻略され、七色サーブをバチバチスマッシュ的なドライブで返されます。

そして、タイに。

最後の3セット目、記憶にありません。

隣のテーブルでは、3番手のダブルスが大健闘しています。

4番手の僕が負ければ、終わり。

僕は、おもいっきり結果エントリーでノンフロー状態。

僕の心境は「俺が負ければ、卓球部の最後の試合となり、終了」

脳裏にはそれしかない。

「なんで、監督はいつもどおり俺を一番手にしてくれなかったのか?」

もう試合どころではありません。

はい、心ここにあらずですよ!

結果は・・・4番手の僕が負けました。

隣では、3番手のダブルスが接戦で続行されています。

もう試合の決着がついているのに、3番手は試合をしなければいけません。

3番手の試合が終わりました。

たしか、勝ったはず。

セットカウント1−3で中仙中学校の夏は終わりました。

記録上、最後の選手は僕。

泣き崩れました。

自分の不甲斐なさに。

情けなくて。

ずっと泣いてました。

俺、スポーツマンじゃないのにな・・・。

みんなが声をかけてくれるのは嬉しいのですが、正直ほっといてもらいたい。

とにかくずっと泣いていました。

会場では、ピンポン球のラリーの音、「よっしゃー」の掛け声が聞こえる。

ただ、ただ、泣いていました。

後にも先にもこういうことで泣いたってことは記憶にありません。

 

そんななか、観客スタンドから降りてきたのは僕の祖父。

祖父は、僕の肩に手を当てて、こう言ってくれました。

「崇(秋田弁なので、たがし)、泣ぐな」

 

おじいちゃん、ありがとう、

祖父のねぎらいの言葉に感謝をしました。

 

しかし、次の一声で我に返ります。

いや、我を疑います。

祖父の放った言葉とは・・・

 

「たがし、じぇんこけるがら泣ぐなぁ」

 

?????

 

えぇー、解説します。

じぇんこ・・・お金

ける・・・あげる

 

つまり、「藤川崇クン、あなたに私はお金をあげるから、今は泣かないで」の意。

youtu.be

は!?

じいちゃん、お金の問題じゃないんだよ!

金じゃなくて、俺の心を慰めてよぉ!

 

じいちゃんは、とにかく俺が泣き止んで欲しかった。

そのときに、とっさに出た言葉だったんだと思います。

正直、あっけにとられました。

全然予想だにしなかった言葉に、なぜか涙も止まりました。

ある意味、じいちゃん正解。

人は、予想だにしない出来事に遭遇すると、フリーズするのでしょうか?

なんだか、感傷にひたっている自分がバカバカしくなりました。

なので、爺ちゃんのとった行動はある意味正解。

もうワケが分かりません。

とりあえず、じいちゃんに言いました。

「今は金じゃないんだよぉ!でも有難う」

youtu.be

 

僕は二人兄弟なのですが、爺ちゃんは俺をかわいがってくれました。

爺ちゃんによく言われたことは、「たがし、財布を空にしちゃだめだど」です。

空の財布では、運気が逃げていくため、常にお金を入れておかなければいけないんだそうです。

この話を聞いた僕の戦略としては、お金が欲しくなれば、わざと財布をスッカラカンにして、おじいちゃんの座るイス、テーブルにそっと財布を置いておくこと。

すると、おじいちゃんは、何も言わず、財布に千円から最大1万円を入れてくれました。

見事なおじいちゃんと僕の阿吽の呼吸です。

違うかっ! (^_^;)

僕はその代わり、おじいちゃんが隠れて日本酒を飲んでいることをおばあちゃんに密告しませんでした。

 

どうでもいい話になってしまいましたが・・・(^_^;)

えー、まぁ、その、こんな僕でもスポーツに打ち込んだ青春時代があったって話です。

おしまい。

 

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